平和通り物語(歩み)
第二次世界大戦(太平洋戦争)末期、昭和20年(1945年)4月15日の川崎大空襲で市は焦土と化し、平和通りのある川崎市役所、駅周辺も一面焼け野原となりました。
B29二百余機が飛来し二時間近くにわたり焼夷弾・爆弾が投下されたといわれています。
現在、平和通りのある、国道15号線(第一京浜国道)から一筋駅寄りに入ったところは、当時「公設通り」と呼ばれ、昭和10年頃の文献資料にも、その名が記載されています。
戦後、廃墟の中、幾度も会合を重ねる中から「平和」を願う思いを込めて、誕生した名前が「平和通り」です。
「誰が言い出したかさだかではないが皆の思う気持ちだった」と、当時役員を務めていた長老からは幾度となく聞かされています。
近隣各商店街との合同企画イベント「いいじゃんかわさき」の開催、隣接する東田公園のリニューアルに伴う行事など、各事業も、点から面へと広がりを見せて今日に至っております。
平和に願いを込めて発足した商店街の先駆者、諸先輩への感謝を込めて、その歩み、軌跡を以下に綴ります。
[注1] 川崎市誕生:大正13年(1924)7月1日、人口50,188人、面積22,23平方㎞